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Posted by TI-DA at

2012年04月07日

「命どぅ宝」を叫ぶのは今ではないのか!

大変ご無沙汰し、失礼いたしました。

新年度より、またブログをはじめたいと思います。

よろしくお願いいたします。

北朝鮮が長距離弾道ミサイルの発射実験とみられる「衛星打ち上げ」発表したのを受け、備えとして、沖縄県那覇市、南城市、石垣市、宮古島市にPAC3の配備が開始されました。

私が石垣島の知人から様子を伺うと、「ほとんどの島民は、自衛隊員やPAC3など防衛装備を見たことがないので、町に出ては興味津々で見入っている」といいます。

もちろん、重装備の車両を見て、「戦争を思い出し、怖くなった」という方もいらっしゃるでしょう。しかし、皆がそうではない、と彼はきっぱりと言っておりました。

北朝鮮のミサイルは12日から16日の間に発射予定とされております。

一昨年11月、突然韓国の延坪島を砲撃し、韓国軍兵士と民間人の命を奪った北朝鮮の狂気の沙汰は忘れもしません。今回の我が国に対する威嚇行動も絶対に許してはなりません。

またミサイル発射実験の後に、地下核実験を行うつもりなのでしょう。

北朝鮮が、ミサイル弾頭にもなる核兵器の小型化を実現したならば、まさしく狂人に万能の最終兵器を与えたも等しくなります。

さて、新聞の社説でも、各自治体の首長も、北朝鮮に対しては、政治的な圧力をかけてミサイル発射を思いとどまらせるべきだと主張しております。

それは当然のこと。しかし、同時に進めなければならないのは、「とにかく県民の命を守るべく手を尽くす」ことなのではないでしょうか。

このような非常事態において、何が一番大事なことなのか。それはまず「人命の保護」でしょう。しかし、沖縄の一部メディアは、陸自とPAC3の物々しい配備によって「観光客のキャンセルが発生、観光産業が打撃を受けた」「この事態を利用して防衛省は沖縄を軍事要塞化し、県民負担を増やそうとしている」「先島への自衛隊配備のために緊急事態を逆利用」などと、まるで県民の命は二の次だと言っているような報道をしています。

普天間飛行場を辺野古へと移設する国と地元との交渉においては、辺野古沿岸の滑走路をV字型にしてまで、集落の上を航空機が飛ばないよう防衛省は配慮しました。

それでは、今回の北朝鮮のミサイルはどうなのでしょうか。軌道がそれる事態を想定して配備するのは、県民を守るためでしょう。

部品や破損したミサイルの一部が落下することもまったくないとは言い切れません。万が一にも、人の頭上に部品が落ちることを思うと私はぞっとします。

ですから、Jアラートからの情報に基づき屋内退避ができるよう、配慮することは大切ですが、だからと言ってPAC3の配備は必要ないとは言えないでしょう。

このような状況であればこそ、「何をおいても、県民の命を守るために、できることは何でもやってください」と政府に請願することが当然なことではないでしょうか。

本島北部、石垣島北部、多良間島などが防衛範囲から外れると予測されていますが、人口比でPAC3を配備する場所を決めるというのも言語道断です。事実上困難であったとしても「できる限りのことを尽くして、すべての範囲をカバーしてほしい」と政府に訴えることこそが、「命どぅ宝」の精神なのではないのでしょうか。

また、ミサイルの落下速度は5~10キロなのでPAC3の射程内でも打ち落とすには高度な技術を要するとか、軌道を外れたミサイルを迎撃するのは物理的に不可能だとの指摘もありますが、外れる可能性が高いのだから、何もするなということなのでしょうか。

沖縄ではあらゆる場面において「命どぅ宝」という言葉が軍事的なものを遠ざけるキーワードになりました。

武器を持つと使いたくなる。だから危険なのだというのであるならば、こちらも軍縮する意図を明確にした上で、外交ルートを通じ武装解除の約束を取り付けるのが先です。それでも中国や北朝鮮は軍縮する気はまったくないと思えますので、抑止力という、お互いに兵器を減らすための話し合いのテーブルが必要なのではないでしょうか。

米軍の駐留が中国や北朝鮮を刺激し、軍拡を招いていると言うのなら、米軍が撤退した後にベトナムやフィリピンの島を侵略した中国の軍事行動をどう説明すれば良いでしょうか。

ですから私は、今回の自衛隊配備によって、県民の命を守る決意を北朝鮮に示すことになれば幸いだと考えています。

  

Posted by タツロー at 01:08Comments(0)