2015年12月06日

翁長知事の意見陳述に関して

翁長知事の意見陳述に関して
12月2日に辺野古埋め立て代執行訴訟が福岡高裁那覇支部で始まり、翁長知事が意見陳述を行いました。

その冒頭の内容ですが、「歴史的にも現在においても沖縄県民は自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされ・・・」という植民地下の人民の代表のような訴えから始まり、琉球王国時代からの歴史を語り、戦前、戦中、戦後の沖縄を虐げられたものとして述べられました。

ところで、この裁判の争点は一体何でしょうか。

それは、仲井真前知事が辺野古埋め立ての承認をしたことに瑕疵があったと主張する立場から、承認を取り消した自らの適法性を証明することなのではないでしょうか。

つまり、裁判の場においては、あくまでもリアリスティックに、自らの判断が適法であった、ということを詰めた上で陳述すべきではないでしょうか。

それなのに、「この裁判で問われているのは、単に公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではありません・・・・国民のみなさますべてに問いかけたいと思います」と訴えておられる。

私は新聞で内容を知ったのですが、翁長知事の陳述内容は、裁判官の判断を超えて、陳述を目にし耳にした国民・県民の感情に訴えることにこそ主眼があるようにしか思われませんでした。

つまり、「裁判で負けたとしても、国民・県民にはこの訴えが分かるはずだ」という企てを感じるのです。

その結果、「日本国の司法・行政は地方の主権を簡単に踏みにじるぞ」という被支配者の被害妄想が生まれます。

裁判に負けることによって、ますます対立構図が拡大することもあり得ます。非常に危険なことです。

県民の多くは、翁長知事の判断に賛成だという世論調査が出ています(沖縄県紙による)。

しかし、仲井真知事の承認のどこに「瑕疵があったということにされているのか」、ということについてはほとんどの方がご存じないと思われます。

おそらく、「あなたはなぜ翁長知事と同様、前知事の承認に反対なのですか」と聞くならば「新聞に書いてあるから、知事が言っているから、みんなそう思っているから」と自らの考えの根拠を示すことができないと思います。

ある知人などは、「政府と沖縄がけんかしている。このけんかは沖縄が必ず勝つ」と言います。

印象操作の被害者です。

政府が沖縄と喧嘩したいわけでも、沖縄県民をいじめたいわけでもない。

中国の脅威を視野に、法治国家としてやるべきことをやっているだけなのです。

昼にキャンプシュワブ前を車で走らせてきましたが、なぜか宜野湾市長選挙の予定候補者ののぼりがたくさん立っています。

名護市民は宜野湾市の有権者ではありません。

「ジュゴンの住む美しい海を守れ」というフレーズに国民の多くが共鳴し、基金も集まったのでしょうが、実は多くの県民、いや国民までもが、政治利用されているだけなのではないでしょうか。














Posted by タツロー at 19:14│Comments(0)
 
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